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大阪高等裁判所 昭和36年(ネ)402号 判決 1966年4月18日

控訴人 株式会社 泉州銀行

右代表者代表取締役 大江清

右訴訟代理人弁護士 棗田愛

被控訴人 国

右代表者法務大臣 石井光次郎

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、被控訴人国が訴外大阪テレビジョン工業株式会社に対し昭和三一年一二月一九日現在において被控訴人主張の国税債権合計四四六万九〇〇八円を有していたことは≪証拠省略≫によりこれを認めることができ、右認定を左右する証拠はない。

二、右訴外会社が控訴人に対し被控訴人主張の(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(別表一記載のとおり)の定期預金をしていたこと、被控訴人国(所轄住吉税務署長)が同年一二月一九日及翌二〇日右預金債権を差押え、夫々その通知が右各差押日に控訴銀行に到達したことは各当事者間に争がない。

三、そこで控訴人主張の相殺の抗弁について判断する。

(一)  ≪証拠省略≫を綜合すれば次の事実を認めることができる。

訴外会社は昭和三一年七月一七日訴外佐藤武夫(同社代表取締役)を保証人として控訴銀行に約定書(乙第一号証の一)を差入れ、爾来控訴銀行より手形割引によって融資をうけて来た。そして訴外会社はその融資の見返りとして相殺による担保的効力を確実ならしめるために本件差押にかかる定期預金証書等(右各預金証書の裏面に日附を空白として表記元利金正に受領した旨の訴外会社代表者の調印済のもの)を差入れていた。そして右約定書によれば(一)控訴銀行は割引手形の支払人その他手形関係人に手形の不渡を生じ、又は不渡を生ずるおそれありと認めたときは手形の呈示を要せず、満期前でも割引依頼人に対しその買戻を請求することができ(九条)(二)割引依頼人において右買戻を怠れば控訴銀行において割引依頼人の銀行に対する預金その他の債権(受働債権)は弁済期到りたるものとみなし、通知を要せず、且つ手形の呈示交付を要せず控訴銀行の債権(買戻請求に基く金員請求権)と相殺することが出来る(九条において準用する五、六条)旨の特約がなされていた。ところで訴外会社が控訴銀行に割引依頼した手形中昭和三一年一〇月二三日(訴外会社振出の一四〇万円)、同月二四日(同一〇万円)、同二六日(同一〇万円)、同一一月二〇日(同一五五万円)、同月二一日(同九〇万円)夫々満期の各手形について各不渡が出たので控訴銀行は同年一二月四日以降割引を停止して警戒していたところ、更に一二月八日七〇万円(支払人竹寅株式会社)と三万円(支払人井田伊三郎)の二通の割引手形が不渡となり、右二通につきその買戻請求をしたが応ぜられなかったので、同月一〇日控訴銀行は本件差押外別口定期預金(五〇万円―乙第九号証の一)と当座預金残高とにより右買戻請求債権を相殺した。かくて控訴銀行は訴外会社(割引手形について裏書をしていた手形関係人)に信用がおけないものと認め、右約定及び慣習により同月一〇日頃控訴銀行(堺支店長西村正治同次長巽正雄)より電話で訴外会社(会計係田中良雄)に対し控訴銀行所持の満期前の割引手形全部について買戻の請求をした。一般銀行及控訴銀行においても買戻請求は従来電話又は口頭によりなされていた。当時訴外会社よりの満期前の右割引手形は別表第三のとおりでその手形残高は総計五五六万〇九九〇円あったので、控訴銀行はその全額について買戻請求をしたことになるわけである。

ところが同月一八日に至り満期到来した金額五万円(支払人木村春夫)の割引手形が不渡となった。そこでこの五万円について本件(イ)の一〇万円定期預金中五万円と相殺した。なおその間同月一五日満期の二万円の手形(支払人株式会社梅田組)の入金があったので、一八日の右相殺の結果同日現在におけるさきに買戻請求にかかる割引手形残高は五四九〇、九九〇円(甲第二号証の二参照)となった。そして同日手形交換所より訴外会社の予備警戒が発せられた。右のような状況下において翌一九日所轄住吉税務署より大蔵事務官小池家蔵が訴外会社の控訴銀行に対する本件定期預金(イ)(ロ)(ハ)について差押に来行したので、控訴銀行において右預金は控訴銀行において同日自行の訴外会社に対する債権と相殺決済し、既に消滅して存在しない旨のべたが、右帳簿処理が未了であったため、右小池事務官は前記(イ)の定期預金中の五万円のみについて相殺を認め、他はこれを認めず、控訴銀行により訴外会社の定期預金について合計一四五万円の残高証明を徴し、即日右(イ)の残高五万円(ロ)(ハ)の定期預金合計一四五万円について本件差押を行い、更に翌二〇日本件(ニ)の定期預金あるを発見し来行の上即日これを差押えた。

前示証拠中前示認定にていしょくする部分は措信せず、他に右認定を左右する証拠はない。もっとも、≪証拠省略≫によれば控訴銀行堺支店長は差押後の同月二二日付書面を以て住吉税務署長宛差押にかかる定期預金は「反対債権をもって相殺したので存在しない」旨の通知をしたことをうかがえるがこれを以て右買戻請求がなされたことの認定をくつがえすことは出来ず、また≪証拠省略≫によれば控訴銀行は昭和三一年一二月二一日発信の書留内容証明郵便で訴外会社に対し五四九万九九〇円の割引手形残高について満期前の買戻請求をしていることが認められるが、当裁判所は右書面で買戻請求をしたと認定するものでないのみならず原審における証人巽正雄の証言と前認定事実によれば、既に前記認定のとおり電話で買戻請求がなされている以上右は必要のないことであるが、未だその履行がなかったので証拠を明確ならしめるためと買戻を催告するためになされたものであることが認められ、同号証を以てしても未だ前記認定をくつがえしえない。以上認定事実からみると、控訴銀行は本件差押前の昭和三一年一二月一〇日頃満期前の訴外会社よりの割引手形全部について買戻請求をしていたのであるから右買戻請求に基く訴外会社の控訴銀行に対する金員支払義務(以下これを仮に買戻代金債務という)は発生し、同月一八日現在においてその残高は金五四九万〇九九〇円存していたことが認められる。

(二)  控訴銀行は自働債権は訴外会社差入れの右約定書により手形割引の方法により訴外会社に対しなしてきた金銭消費貸借に基く債権である(従って買戻請求は約定による期限前の貸金の返還請求に外ならず)これを前提として右相殺の効力が有効である旨主張するので考えるに、手形割引の法的性質決定の問題はそれが民商法の規定するどんな契約型に属するかを明かにしこれによって当事者が特約しない事項または意思の不明な事項について民商法のいずれの関係規定を適用するかの問題である。そしてこの点に関し、消費貸借説や売買説が考えられるが、この点を考えるについても手形割引を歴史的、社会的に生成した定型的経済現象として、典型的に行われる銀行における手形割引を中心として行政監督や銀行内部での帳簿処理の立場からでなく、私的自治の立場から考察するに、一般に銀行取引において行われる手形割引は通常手形の主たる債務者が借主となる趣旨を明示する手形貸付と異り、割引依頼人とは原則的に関係のない第三者が支払義務を負担し、従ってその者に対する手形上の債権を化体する手形を裏書譲渡し手形債権そのものを移転することにより、割引代金(将来即ち満期に至り支払われる予定の手形金額から満期までの利息その他の費用即ち割引料を差引いた金額)を取得することを契約の要素とするものであって、その行為は手形裏書行為の実質関係たる意味をもつがその性質はそれ自体を単一的に見る限り前記要素に徴し割引銀行に移転された手形債権の債務者の絶対無条件の義務の外に、これと同列ないしはそれ以上の価値を持つような割引依頼人の絶対無条件の義務負担は割引の結果が所期の効果を収め、手形が順当に支払われる限りその必要をみず、従って契約の要素に加わっているものとは考えられないから、法律行為としてみる場合はそれは原則として手形の売買と解する外ない。ただ銀行取引は通常一定の相手方との多少とも継続的な取引であり、信用の裏付も必要であり、また銀行としても割引による取得手形の不渡、その他価値の消滅の発生を防止すべく万全の措置をとり、割引依頼人との間に各種の特約を結び又はこれらの者との銀行取引の慣行上右補償措置が実施され、その結果右に認められるような手形割引の法的効果の重点が移動し、場合により、割引依頼人の絶対的無条件の債務負担を生じることを主眼とする取引に変質しているという可能性は考えられないことではない。

手形割引も手形貸付と同様経済的には割引依頼人に対する金銭の融資としての機能を果すものであることはまちがいないから、当事者が手形割引を依頼人に対する融資と考えていたからとて、又銀行側が割引に当り、依頼人の信用調査を行っているからといってそれだけで法律的にもそれが同一(すなわち割引依頼人の無条件主債務、割引依頼人の消費貸借に基く債務負担行為)ということは出来ない。割引手形が不渡になったときその他一定の場合に銀行に買戻請求権を認め、更には割引依頼人がこれらの買戻請求に応じないときは同人に対する預金等と相殺しうる権利を認めて、銀行は融資の回収をはかっているが、右依頼人に対する信用調査はこの回収のための信用調査であり、しかもこのように買戻請求権を認めていることは却って手形割引が消費貸借でないことを示すものといわねばならない。けだしもしそれが消費貸借であるならば、銀行としては割引手形の不渡その他割引依頼人の信用悪化が認められたときは期限の利益喪失約款(現に控訴人の約定書第五条にこの規定がある)を定めることにより所期の目的を達しうるのにことさらに前記の如き買戻請求をなしうる約款(右約定第九条にこの旨の規定がある)が存すること(また従前より、明文がなくとも割引手形についての買戻請求は事実たる慣習として存在していることは当裁判所に顕著である、)は手形割引が消費貸借以外のものであることを前提として割引依頼人に対し手形法上の遡求義務以上の責任を別に負担せしめえ、銀行としては損失防止の安全性(資金回収の容易性)を期しているものと解せられる。それ故慣習又は約定により買戻請求権が認められているからとて、手形割引に消費貸借の成立する慣習や特約を肯定することは出来ない。

なお附言するに、本件手形割引に消費貸借たる性質と売買たる性質の併存を認めるに足る明白な資料なく、しかもこの併存を認めるが如きは両者が全く別個の法律関係であり一個の行為について二つの相容れない法的性格を附与しようとするもので互に矛盾撞着するものを共存せしめようとするものというべく、たとえ約定書において形式的な併存的規定をおいたとしてもまた控訴人が手形貸付の場合も手形割引の場合も同一約定書を差入れさせていたとしても、具体的な手形取引が法的性格において手形割引か手形貸付かによってその実質的な効果の発生を決定すべく、単に約定書に併存規定がおかれているからといって、双方の法的性質を兼有するものとは即断し難い。してみると、本件手形割引には単純な消費貸借は勿論、手形を担保とする消費貸借、或は消費貸借と共に右手形につき譲渡担保又は質権を設定する等消費貸借を成立又は随伴せしめる旨の明示若くは黙示の特約ないし事実たる慣習の存在しないことが明かである。

そうすると本件手形割引により消費貸借が成立することを前提とする控訴人の主張はその余の点について判断をするまでもなく失当といわねばならない。

控訴人援用にかかる≪証拠省略≫中控訴人の主張に副う手形割引の法律上の性質に対する見解は採用しない。

(三)、そこで進んで、特約ないし事実たる慣習に基く買戻請求権に基く相殺の主張について判断する。

訴外会社が控訴銀行堺支店に差入れた約定書(乙第一号証の一)や≪証拠省略≫を綜合すると割引手形が不渡になったときは銀行は通常遅滞なく割引依頼人に対し該手形を買戻すことを請求し、数通の割引手形中一通が不渡になり他の数通の手形が満期前の場合でも割引依頼人に信用がないと認めたときは他の期日前の手形全部についても買戻請求をすることができ、買戻金額はいずれの場合にでも手形金額と同一と観念し依頼人は満期後のものについてはこれに満期の翌日から買戻の履行日までの割引料相当の利息を附加して支払い、満期前のものについては買戻履行日における未経過分の利息(割引料)を銀行から返還をうける事実たる慣習が存することを認めうべく、本件において約定書第九条は満期前の割引手形の買戻について規定するが、満期到来のものについては当然のこととしてこれが記載を省略したものと解しうべく(勿論解釈)右買戻請求については右一般慣習に従う意思をもって手形割引を開始したものと認められるのであって、これを排除するような特約がなされた形跡は認められない。そして買戻請求権は割引手形について銀行が権利保全の方法としてこれを有するものであり、手形割引をするに当って依頼人との間に結ぶ附随契約としての特約または事実たる慣習に基いて生じるものであることうたがいない。

そして本件約定書第九条に「貴行ノ請求次第拙者ニ於テ買戻仕ルベク候」とある点からみても、右買戻請求権は一定の事由の発生により当然発生する趣旨の特約というよりは右事由が発生した場合これを行使するか否か裁量の権限を銀行に与えたものと解せられるのみでなく、買戻請求権に基く、金員の支払義務の成立は当事者一方の主観的な可能性でなくて、客観的な法律関係の変動たる本質を有する故に、その時期如何は取引先は勿論第三者の法律関係の安定性に影響を及ぼすことが大きいから、右買戻請求権は銀行から割引依頼人に対し買戻の請求をなすことにより始めてその効力を生じるものというべく、これを以てすでに成立した取引先に対する金員支払請求権の行使につき銀行の裁量を定めたものということはできない。

右の次第であるから買戻請求権は形成権と解し、買戻約款を約定解除権の留保と解するを相当とする。買戻請求権の行使により割引対価返還義務(買戻代金、手形金相当の金員支払義務)が割引依頼人に発生し、右買戻代金額が買戻請求権行使の時期如何をとわず手形金額と同額と観念せられそれを基準として準期後の利息を加算し、或は満期前の未経過分の利息(割引料)を控除されることは銀行の権利保全のための特約ないし事実たる慣習として買戻請求権の内容となっているにすぎないものと解せられる。

してみれば銀行が割引手形について依頼人に対し買戻請求権を行使(買戻請求の意思表示)をなすことにより割引依頼人に買戻代金支払義務が発生し、この支払義務は性質上発生と同時に直に履行すべきものと解される。

控訴人援用の≪証拠省略≫中買戻請求権についての右と異趣旨の見解は採用しない。

ところで前記(一)認定事実によれば本件各差押前に控訴銀行において満期前の割引手形全部について訴外会社に対し右買戻請求をしていたのであるから、右各割引手形について買戻の効果が生じ、訴外会社は本件各差押前に、直に各手形金相当の金員を控訴銀行に支払う義務を負担したものというべきである。

差押前に未だ不渡手形を生ぜず、従って未だ買戻請求がなされず、「割引依頼人が第三者より預金を差押えられたときは銀行は手形割引に基いて割引依頼人に対して有する一切の割引手形について当然買戻請求権を取得する」旨の約定があって、預金の差押を契機として差押と同時に銀行が右買戻請求権を取得した如き場合はこれを自働債権として被差押債権たる預金債権(受働債権)との相殺を以て差押債権者に対抗出来るかどうかについては問題があるが(我妻栄編債権総論(判例コンメンタール)三九〇頁以下、最判昭和三九、一二、二三民集一八巻二三一七頁参照)本件において控訴銀行と訴外会社との約定書には右のような約定はなく、また控訴銀行が訴外会社に対し取得した右買戻請求権に基く手形金相当の金員支払請求権は本件預金の差押と関係なく、それ以前に控訴銀行より訴外会社に対しなした右買戻請求権行使の結果発生取得したものであり、右自働債権は差押前既に民法第五〇五条にいわゆる「弁済期ニ在ル」ものであって、預金の差押を免れるための特約に基いて差押時に遡及して発生又は弁済期到来したものでもない。

被控訴人は満期前の手形全部についての買戻請求は本来許されない。またそのようなものは手形の特定を欠く。できるとしても控訴銀行のそれは権利の濫用である、とかいうが、いずれも採用できない。

けだし割引手形の一部について買戻請求をする場合は特定を要するとしても、右認定事実によれば全部というている以上は個個の手形を特定する必要なく(また相殺の自働債権として指定がなかったとして相殺充当により決しうる)、また右手形全部についての買戻請求が出来ないという合理性は見当らず、前記認定事実関係のもとで全部について買戻請求をしたのが買戻請求権の濫用であるとも認められないからである。

(四)  そこで、控訴人のなした相殺の効力について考える。

(イ)  前示(一)認定事実によれば本件差押前訴外会社は控訴銀行に対し満期前の割引手形全部について買戻代金支払義務が発生し、(この総計昭和三一年一二月一八日現在において五四九万〇九九〇円)、控訴銀行は本件差押に際し、約定によりこれと本件定期預金を差引計算した(但し一九日には帳簿未処理)結果預金は存在しないと主張したことが認められる。そこで右約定をみるに割引手形の買戻請求をうけこれに応じないときは、五条六条により処理されることになるが(九条)、六条によれば「前条の場合拙者ノ貴行ニ対スル預金ソノ他ノ債権ハ弁済期ニ到リタルモノト看做シ、拙者ニ対スル通知ヲ要セス……拙者ノ債務ト差引相成候共異議無之候」とあって本件受働債権が弁済期未到来の定期預金である場合でも右定期預金について控訴銀行が期限の利益を放棄して、意思表示を要しないで相殺することが出来るものと一応解されないではない。そして五条では「拙者の債務ノ全部又ハ一部ノ履行ヲ怠リ、若クハ履行困難ナリト貴行ニ於テ御認メノトキハ……拙者ノ債務ハ総テ期限ノ到来シタモノト看做サレテモ異議無之」旨の記載あり、これを六条の相殺に関連せしめて解する限り右約定書五条は一般に自働債権(銀行側の債権)について取引先側の期限喪失条項であり、六条は受働債権(銀行側の預金債務)についての銀行側の期限放棄条項並に相殺権について規定したものとみるべく、しかも右両規定は買戻請求に基く買戻代金支払請求権を自働債権とする限りにおいて相殺に意思表示を不要とする部分以外は特約としての意味がないものといわねばならない。けだし買戻請求に基く買戻代金支払請求権は買戻請求によって既に発生し、且つこれが履行期は既に到来しているのであり、またこれが未発生である以上五条の期限喪失条項を適用する余地ない。けだし、期限喪失条項の働くのは現実に発生しているが期限未到来の債務に対してであって、未発生の債務については期限を論ずる余地がないからである。また六条は受働債権(預金)について銀行側の期限の利益を放棄して相殺することができる旨約定したものであるが、その限りにおいて相殺適状の発生を緩和する特約としての意味もない。けだし、銀行が自働債権の弁済期到来している場合に、見返りの定期預金の期限が未到来であっても、債務者銀行がその期限の利益を放棄して相殺しうることは民法の規定(民法一三六条、五〇五条)の解釈上当然のことであるから右約款に相殺することができるという部分は無意味である(これが反対に五条のように自働債権についての期限利益喪失約款であれば、民法第一三七条の特約として、また従って特約による相殺権の保留としての意味をもつ)。すなわちこのような相殺は法律上の相殺であって、差押債権者に対する対抗力について考えてみても差押時に自働債権の弁済期が到来しているのであるから、受働債権の弁済期が未到来であっても債務者が期限の利益を放棄して弁済することができる場合は差押後に期限の利益を放棄して相殺することができるものといわねばならない(最判昭三二、七、一九民集一二九七頁)。もとより受働債権の弁済期到来をまって相殺することも出来る(最判昭三九、一二、二三民集二二一七頁)。このように右条項は右の点について何ら特約として価値はないが、同項はむしろ相殺に通知を要せず且つ「手形呈示交付を要しないで」相殺することができるという点に特約としての意味を見出すわけである。そして右のうち相殺に意思表示を不要とする特約は、銀行に対し取引先及び第三者に全然わからずに相殺の効果の発生をみとめるもので当事者双方が関係をもつ法律関係の変動原因としては相手方の地位を不安定にし、債権の譲受人差押債権者等の第三者の取引の安定を害することが著しいから無効といわねばならない。してみれば控訴銀行が内部的に本件差押前に差引計算をしたというだけで、訴外会社に対し相殺の意思表示のなされたことの主張立証のない本件において、差押前に適法な相殺によって本件預金債権が消滅したものと認めることは出来ない。控訴人は右相殺に関する約定は停止条件附相殺契約であるといい、被控訴人は相殺予約であるというが、本件約定の解釈に関する限り、いずれも、独自の見解で、採用できない。

(ロ)  控訴人は本件各差押時に来行せる税務署員に右相殺の意思表示をしたというが、当時控訴銀行において税務署員に対し差押前に右差引計算をしたので、もはや定期預金は存在しないと主張して争ったに止り、第一回差押当時訴外会社に相殺の意思表示をなした形跡もないのであって、予備的にもせよ右差押時に改めて税務署員に対し相殺の意思表示をしたことも認めることは出来ない。

(ハ)  次に控訴人は昭和三四年八月二四日の本件原審口頭弁論において予備的に本件差押にかかる預金と右買戻請求権に基く金員請求権中別表三中備考欄△印のものすなわち別表四の割引手形に関するものとを対等額において相殺の意思表示をしたことは本件記録上明白である。そこで右相殺の効力について考えてみるに、第三債務者たる控訴銀行より取立権を有する差押債権者たる国に対しなされた右相殺の意思表示は有効で(最高裁昭和三九、一〇、二七判決)、国は差押によって被差押債権の取立権を取得し納税人たる訴外会社に代って債権者の立場に立ちその権利を行使しうるだけで、第三者たる控訴人(第三債務者)の有する相殺権の行使までも制限すべきでなく、而して、控訴人は訴外会社に対して本件差押前既に弁済期到来の自働債権を有していたのであるから、これと本件差押の時いまだ弁済期未到来の本件受働債権と差押後相殺をなし得べく、右相殺は差押債権者たる被控訴人に対抗し得ることは民法五一一条の反対解釈上明かなところである(最判昭和三二・七・一九民集七巻一二九七頁・前掲最判昭和三九・一二・二三)。

(ニ)  被控訴人は右相殺は割引手形の呈示交付なくしてなされている点において無効であるというのでこの点について判断するに、買戻請求に基く金員の請求権は手形行為の原因たる割引契約の附随的特約に基いて発生するもので手形外の権利であるから、その呈示交付は相殺の要件とならないが、取引先の右支払義務と銀行の手形返還義務とは履行上の牽連関係があると認めるのを相当とする。そこで相手方債務者は手形の返還につき同時履行の抗弁権を有しているというべきである。従って同時履行の抗弁権の附着したものを自働債権として債権者たる銀行が一方的に相殺することはできないが、銀行は特約によりこの抗弁権を排除することができると解すべく、本件においても≪証拠省略≫によれば、訴外会社は控訴銀行に対し本件買戻請求権に基く金員支払義務につき右同時履行の抗弁権の放棄を約していることが認められる。もとより右同時履行の抗弁権の認められる所以のものは、二重払の危険から債務者を保護し、或は遡求権の行使の機会の取得という債務者の利益保護をその理由とするものであるが個々の相殺の場合は勿論不特定多数の債務或は将来発生すべき債務につき抽象的一般的に手形の呈示又は交付をしないで相殺をなすことを認める合意も取引先において自らその利益を放棄し、銀行を信用して敢て二重払の危険負担を覚悟の上でこれをなした以上その効力を直に否定するには及ばないのみならず、右特約が専ら銀行の一方の利益を追求するものであるとしても、現実には不渡手形の濫発や割引依頼人の信用が悪化する場合が多く、手形割引をなす銀行としてもかなりの危険負担をしながら取引をしているのが実情であり、しかも≪証拠省略≫を綜合すると控訴銀行を含めて銀行の実務上の取扱としては、銀行が手形の返還を保留して、満期に取立に廻すことはあっても、それは相殺の結果なお依頼人に残存債務がある場合であり(本件においてもなお買戻の未だ履行されない残余の買戻代金請求権が存していた)その取立金は割引依頼人の残存債務に充当せられているのであって、決して二重払として依頼人に対し損害を与えていないこと、銀行は与信業務を行う一方受信業務(預金)をも行うものであるから、銀行の利益保護は同時に預金者の利益保護にもなること等を合せ考えると、右特約を以て特に不当なものといいえないから、右特約は有効に成立したものと解するのが相当である。

(ホ)  被控訴人は右相殺において期限未到来の手形の買戻について生じた自働債権として手形金同額を以て債権額とし買戻請求時より満期迄の未経過利息を控除していないのは不当というけれども、買戻請求に基く代金額は一応手形金額と同一と観念され、只現実の決済時(買戻代金の支払又は相殺のとき、但し後の場合は相殺適状時)が満期前の場合に未経過期間利息(割引料)の返還をうけるにすぎない。従って、期限未到来の手形について買戻請求のなされた場合でも、現実の相殺が手形の満期後になされしかも右相殺適状が手形の満期後に生じる場合は割引依頼人において手形金の外に経過利息を附加支払わねばならない。そして本件においては右口頭弁論における相殺のなされた時に、差押後に弁済期到来する各受働債権たる本件預金債権はすべて弁済期到来しており、その相殺適状は各預金の満期日に生じたものというべく(後記相殺充当参照)自働債権(買戻請求による手形金相当の買戻代金請求権)の各基本たる手形について、いずれも右相殺適状時満期到来していたものであるから、相殺にあたり、控訴人が手形額面金より未経過利息を控除しなかったことに些の不当違法はない。

(ヘ)  そこで相殺充当について考えてみる。

自働債権と受働債権がそれぞれ数個ある場合において相殺の意思表示によりいずれの債権をもっていずれの債権に対し相殺がなされたか判明しない場合には民法五一二条により弁済充当に関する同法四八九条ないし四九一条が準用されるところ、本件受働債権は差押にかかる(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の預金元金及び差押の翌日より支払済にいたるまで年四分の割合による金員(満期までは利息満期の翌日よりは遅延損害金)で自働債権は別表四の(1)(2)(3)(4)の買戻請求権に基く金員支払義務(元本)であるところ右自働債権たる買戻代金請求権と受働債権たる右各預金の元利金とは対等額において夫々預金の満期の日に相殺適状に達しその各預金について利息、元金と相殺すれば相殺の遡及効により預金の元金債務は預金の満期に相殺により消滅することになるから爾後損害金債権は受働債権として発生しないことになる。そこで右各受働債権(被差押債権)について各満期までの利息を計算すれば別表二のとおりとなる。そして右各元利金に対し各自働債権を以て法定の相殺充当をすれば受働債権は右相殺の結果全部消滅し(自働債権(4)のうち四、二九八円六〇銭が超過分として残る計算になる)たことになる。してみれば被控訴人の本訴請求はすべて失当とし、棄却すべく、これを認容した原判決は相当でない。

よって民事訴訟法第三八六条に則り原判決を取消し、被控訴人の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき同法第九六条第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宅間達彦 裁判官 増田幸次郎 井上三郎)

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